富士山へのこだわり



 

富士山には21歳の夏に一度登ったことがある。このときは登山をするとか、信仰があるとかではなくて、家族一緒に旅行気分で登った。

それから富士山も忘れてしまった。 旅行に行くのでカメラが必要になり、1994年9月18日に近くのディスカウントショップで、 一番安い一眼レフカメラだったEOS-kissを買った。

旅行から帰った後、買ったカメラが遊んでいるのに気がついて、何か撮ろうと考えていた。 次の年の正月に「風景写真術2」(竹内敏信著、学習研究社刊)を買って読んでみた。 「富士山を撮る」の章があった。

そこで、本の指示通りのコースを選んで、1995年1月28日に富士山撮影に向かった。 まず、西湖で日の出を待った。西湖で日の出を待つ人は3人だった。 残念ながら富士山は赤く染まらないうちに日の出が終わってしまった。 そしたら、皆は残念がって、別の撮影ポイントに移っていった。

私はただ一人ポツンと残された。 竹内敏信の推薦の場所がこれで終わりかとがっくりしたが、そのまま待つことにした。 空は快晴である。富士山はきれいな雪をかぶってそびえている。 すると、左側から太陽の日差しが西湖に当たり出した。 湖面の手間は山が太陽を隠して湖面を暗くしているが、湖面の奥の方は、 太陽の光があたって白い帯のように横一線に輝いた。 同時に、湖面に湯気がもくもくと上り出した。 冷えた水と太陽に暖められた空気に温度差ができて湖面から水蒸気が上がるのだ。 輝く湖面の上に富士山がそびえていた。 まもなく、左側の小山の木々の間から、太陽の光がもれてきて太陽が輝きだすと、 水蒸気はまもなく消えていった。ほんの数十分のできごとだった。 刻一刻と変わって行く、自然の移りゆく速さに目を奪われた。 私の目の前で竹内敏信の写真にあるような風景が出現した。

自然は美しい。

条件の良い日に出会うと、写真はおもしろい。この日を境に、家の近くを撮影するようになった。

実は竹内敏信の写真にあるとわかったのは、家に帰って再度写真を見直してからだ。 この日撮った写真をみると、できは良くなかったが、当時は傑作ができたと、意気があがっていた。 だから、この日は私にとって富士山との出会いであり、カメラ撮影開始日として、私の記念すべき日になった。 約4年弱前のことである。 その後、富士山の撮影ポイントを一巡し、今では富士山大好き人間と自負している。

(1998年11月7日記)